南部縦貫鉄道とは

 1962年(昭和37年)10月20日に南部縦貫鉄道は開業した。当時は国鉄東北本線と千曳(西千曳)駅で接続していた。
 同社では、七戸・天間林付近で採掘される砂鉄輸送をするために建設されたが、開業2年後の1964年(昭和39年)には採掘が開始されたものの翌年4月には政府の計画中止により、同社はたちまち苦境に至ってしまった。収入の4割を失ったことになった。旅客需要は当初よりレールバスを用意するぐらいに少なく経営がピンチになった。そして、1966年(昭和41年)5月に会社更生法の適用を申請し、更正会社として再出発した。開業4年目のことである。
 1968年(昭和43年)5月に十勝沖地震があり同社の線路も大打撃を受けた。しかし、社員総動員の復旧作業により、8月には全線開通と同時に野辺地駅へ乗り入れを開始した。なぜ、野辺地へ乗り入れしたかというと、東北本線は、複線トンネルの開業によりそれまでの千曳駅付近の路線変更した。そのため同社では、接続駅を野辺地に変更し、千曳駅を西千曳駅と改め1968年(昭和43年)8月5日に西千曳〜野辺地へ延長開業した。このとき千曳駅から野辺地駅の手前までの線路は旧東北本線の路盤をそのまま国鉄から無償で借用し開業した。これが今回の廃止のきっかけになるとは・・・。
 その後、自動車の普及に伴い、旅客数は低迷を続けた。一時は高校生の進学率上昇に伴い朝間の需要増加があり国鉄よりキハ1045を譲り受けたこともあった。しかし、1982年(昭和57年)以降は旅客数も低下の一途をたどっていた。
 貨物輸送は、沿線の農協を主な荷主として輸送を続け、収入の半分以上を占めていた。しかし、1984年(昭和59年)国鉄の合理化施策で野辺地駅での貨物扱いの廃止で同社も貨物輸送を廃止した。
 その後同社では、新幹線アクセス鉄道としての方向へ向かう。東北新幹線青森延伸の際、フル規格で建設されると新ルートとなり七戸に駅が設置される予定である。そこに目を付け、開業の際には七戸駅へ乗り入れて、七戸から野辺地・下北半島へのアクセス鉄道を目指したが一向に新幹線計画が進まなかった。
 そんななか、レールバスも老朽化が進み、保守部品が無くなってきた。新車両導入をしたいところだが、旅客の増加が見込めない所で導入する事が出来ず、何時廃止されてもおかしくない状況だった。
 そして、同社に鉄道存続の危機が訪れた。国鉄清算事業団より西千曳〜野辺地間の旧国鉄用地の買い取りもしくは返還を迫られたのである。買い取りの場合は5100万円を要求されたが同社には払う余地がなく、そのほかにも、今後数年間で車両・施設の維持費に4億円はかかるとの試算もあり1996年(平成8年)9月の取締役会で廃止の方針が打ち出され1997年(平成9年)1月の株主総会で廃止が承認され、5月5日の廃止が決定した。廃止が決定すると全国各地から廃止を惜しむ人々が押し寄せ、土日は積み残しが出るほど込み合い、続行便が出るほど込み合った。時にはキハ104が出動する事もあった。
 平成9年5月5日に廃止の予定であったが、あまりのフィバーぶりに廃止を撤回してしまった。しかし、運行は5月5日限りで、運行休止の形をとった。しかし、運行再開の目途は立っていない。一度廃止していまうと新たに免許申請が大変なため、運行再開の望みを残す意味で休止にしたようです。新幹線七戸駅開業の際に運転再会を試みたが結局その夢かなわず。
 このフィーバーぶりで、同社では思わぬ増収を招いたようです。
 その後、旧国鉄用地の件も決着し約500万円で買い取ったそうです。

 休止後も当時の運転士さんの手により車両の整備が行われ時折、車庫から車両を出し展示するイベントも行われた。
 休止後も七戸駅は売店として営業を続けていたが、平成11年3月に名物運転士の沢田鉄道部長が退職され、平成11年5月には七戸駅の売店も閉鎖されてしまった。
 南部縦貫鉄道は、鉄道以外にも関連事業で成り立っているのだが、決して良い状況ではない。マニア向けのイベントはあくまでも好意で行われたものであり、その経費の負担と売店の維持ができなくなくなったそうである。廃止後毎年行われていた、鉄道の日のイベントも平成11年は中止された。ちょっと残念な事であるが、ここまでやってくれた南部縦貫鉄道には頭が上がらない。

 平成9年に廃止から休止へと変更し、毎年、休止の延長申請をしてきた南部縦貫鉄道ですが、平成13年6月初旬に行われた取締役会で満場一致で廃止が採決され、6月下旬に行われた株主総会で廃止が決定。そしてその一年後の平成14年8月1日をもって鉄道事業を廃止した。

 現在、南部縦貫鉄道は社名を変え南部縦貫株式会社として会社は存続し、タクシー事業を中心に七戸町の受託事業を行っている。七戸家族旅行村の管理運営もその一つ。本社は旧七戸駅にある。七戸駅は現在もそのまま残され、駅舎2階が本社で、駅1階は倉庫として利用している。

 駅構内は当時のまま残され機関庫内にはレールバスと気動車、機関車の6両が残されている。特にレールバス2両とキハ104気動車は動態保存されている。有志のレールバス愛好会と元運転士さんの手によって保存されている。

 沿線の線路は2003年秋に撤去工事が行われ、七戸駅構内を除き、すべての撤去が完了。野辺地駅跡もすっかり整地されてしまった。

 七戸駅構内の一部の線路は保存へ向けて線路、枕木、砂利などの交換を行った。残念ながら駅構内以外への路線延長は絶望的です。4号線バイパス工事が計画されており、七戸駅外れに通ることが決定しているため延長は不可能なのです。

 しかしながら、駅構内の線路敷き直しされたことで今後の保存活動に弾みがついた。

 休止後も年に1〜2回ほど車両の展示を開催。鉄道業廃止後の平成16年5月に行われた「レールバスと遊ぼう」イベントにて体験乗車という形で実際にレールバスに乗れるイベントを開催した。距離にして600mの区間を約6分ほどかけて運転、レールバスに乗った事がある人は懐かしみ、初めての人はその乗り心地に感動しているようでした。体験乗車が出来るイベントは平成16年9月と平成17年5月にも行われたが、次回は平成18年5月に開催したいという話だが、今の所未定らしい。

そのおかげで2004年5月の体験乗車運転ができたのです。

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