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新清水トンネル内にある駅

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上越国境を越える3本の鉄道トンネルの紹介

 

川端康成氏の小説「雪国」の書き始めにはこのような文面で始まっています。

「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。」

この文面を知らない人はいないでしょう。このトンネルこそが上越線清水トンネル(9702.33m)の事を指しているのです。現在は上り線専用になっていますが当時は単線だったのです。

このトンネルが出来るまでは、関東から新潟に行くには信越本線の長野経由で行くことしかできませんでした。清水トンネルの完成で関東と新潟が一挙に近づき、その後、輸送力増強のためこの区間も複線にする必要があり、昭和42年に新清水トンネルが開通し、上野と新潟間の大動脈幹線が築かれました。しかし、昭和57年に上越新幹線が開業してからはその主役を奪われ、平日は普通列車が5往復と貨物列車のみの超ローカル線になってしまいました。今となっては複線では輸送力が有り余っているように思えます。どちらかの線路を廃止し、単線にしたほうが線路の維持費を軽減できるのに・・・。水上〜越後湯沢間の年間維持費は約40億円かかっているそうで、噂ではこの区間の廃止の話もちらほら出ているそうです。あくまで噂ですが・・・。

3本の鉄道トンネルは難工事で、世界でも珍しい岩ハネ現象が工事を難航させました。

岩ハネ現象とは世界でも珍しく、日本では谷川岳を通るトンネルでしか発生していません。亀裂の少ない堅固な岩盤に生じ特に側壁部に著しく数センチから数メートルの岩片が異音を発してハネ飛び、大きいものはハクリして落下する現象です。

 

清水トンネル(上越線上り線)

上越線を東京と新潟を結ぶ幹線と定め、勾配を10/1000、最小曲線400mとして検討したところ、上越国境を横断するには、約20kmのトンネルが必要になるので、このような長大トンネルは当時の経済上からも技術上からも疑問がでました。そこで特に山間部の最急勾配を20/1000に改めて、現清水トンネル(上り線)の方針が決まりました。

大正8年6月より実測を開始しましたが、上越国境茂倉岳付近は険しい山々や積雪も多く、更に頂上付近での測量は雲や霧が間断無く襲い、夏季の数ヶ月間しか測量ができないため、中心線の測量には約3年かかり清水トンネルの両抗口の位置が決まりました。

清水トンネルは群馬県水上町土合から茂倉岳を直線に貫通して新潟県湯沢町土樽を結ぶ9702.33mの長大トンネルで大正11年8月18日に着工し完成までに9年4ヶ月の歳月がかかりました。

工事は、大勇水と岩ハネとの戦いで苦難の連続でした。犠牲者も44名にも上り、上越線建設の上で最大の難工事であったことは言うまでもありませんでした。工事には延べ291万1444名が関わり、総工費は1172万5320円90銭3厘で現在の金額で約50億円かかったそうです。

 

新清水トンネル(上越線下り線)

新清水トンネルは湯桧曽・土樽間において上越国境の谷川連邦、一ノ倉岳、茂倉岳の直下通り、清水トンネルと平面的にほぼ並行して土樽にいたり、延長13500.5mの長大トンネルです。工事は昭和38年9月20日に着工し、昭和42年10月の完成するなど清水トンネルと比較すれば長さで1.4倍、工期は半分以下で完成しました。総工費は約59億円、延べ160万人の作業員が関わったそうです。

トンネル工事は清水トンネル同様、岩ハネや大勇水にに悩まされ、毎分31トンの大勇水の発生で作業速度が著しく低下したそうです。

このトンネルには国鉄初の地中駅、湯桧曽と土合駅が設けられました。特に土合駅は地上にまで階段で結ばれ距離にして約480m、高低差70mあり、ホームから地上まで486段の階段があります。将来エスカレーターの設置を想定しスペースを確保したそうですが、その計画も今となっては風前の灯火状態のようです。

トンネル工事中に湯桧曽側入り口から230m地点付近で52℃の温泉が湧出したそうですが、地元温泉権者や利用者からの苦情により、湧水箇所を止水たそうです。即設の温泉源の湯が将来減少・枯渇したときに備えて、分湯・給湯できるようにトンネル入り口までパイプを通してあるそうです。

線路はポイント箇所を除いてすべてスラブ軌道(線路を路盤のコンクリート直付けした軌道)で800mのロングレールが使用されています。トンネル内にポイントが?って思いますよね。単線の新清水トンネルには2カ所追い越し設備があったようです。一つは土合駅で、もう一つは新潟寄りにあるようです。しかし、現在は土合駅しか追い越し設備はないようです。真相は分かりませんのでご存じの方いらっしゃいましたら教えてください。

 

大清水トンネル(上越線上り線)

上越新幹線はトンネルが22カ所、路線全体の40%をトンネルで占めています。在来線の2本の清水トンネルと同じく難工事になりました。新幹線のトンネルということで高速運転に耐えられるよう、最小半径4000m、最小勾配15/1000以下という厳しい建設基準で建設されました。

大清水トンネルは昭和47年6月に6工区に分割され、斜坑・横坑から着工し、昭和55年5月に8年5ヶ月、総工費470億円を費やし完成しました。

建設工事は谷川岳直下の最も深い位置を掘ったため、岩ハネ現象が多く発生し難工事となりました。深さ800〜1100mの区間で多く発生し大きいもので厚さ15cm幅2mの岩盤が突然はねてくるので工事は難航し岩にロックボルトを打ち付け金網を二重に張り、坑内作業の安全を図ったそうです。

大清水トンネルを掘り抜いた上越国境は昔から交通の難所であり、これを解消するため、大正時代着工の清水トンネルを始めとして新清水、大清水トンネルの鉄道トンネルの他、関越自動車道のトンネルが二本あります。これらのトンネルの中で大清水トンネルは延長22,221mと最も長く深い位置を貫いております。

昭和57年11月に上越新幹線が開業する事により太平洋側と日本海側との時間と距離が飛躍的に短縮しました。

 

 

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