おがえもん廃線研究所

別府鉄道 野口線
現地調査 Part3
別府港駅円長寺駅
野口線
 野口線は別府港駅からまっすぐ伸びていました。土山線は右手にそれていきます。現在は道路になっています。
 別府港駅に北側には当時は工場がありそこにも引き込み線がありました。現在はイトーヨーカードーがあります。
松風こみち
 廃線跡は山陽電鉄別府駅手前から松風こみちとして加古川市により整備されています。野口線歩行者(自転車)専用道路として野口駅手前までの3095mの遊歩道です。
スタート地点にあった看板の内容を記します。

経緯
 別府鉄道(株)は、大正10年8月に野口・別府港間3.6kmを旅客輸送を主目的として創業し利用されていましたが、大きな社会経済の変化によって昭和59年1月31日に惜しまれながら廃止されました。
 松風こみちは、この別府鉄道跡地を市民に親しまれるアメニティー空間をもった歩行者(自転車)専用道として整備されたものです。

事業の内容
 松風こみちは、加古川市中心市街地の官庁街から臨海部の副都心に連絡する歩行者(自転車)専用道です。
 近年の急速な都市化と、モーターリゼーションの進展によって、緑のオープンスペースの減少と、車による交通公害が著しいところから、自動車を排除した安全で快適な緑のある歩行者空間と、うるおいとやすらぎのある生活空間を確保するために、沿道および周辺の環境との調和を図りながら、また市内にに点在する公園、史跡を結ぶグリーンのネットワークとして建設しました。

 経緯の中で旅客輸送を主目的に創業とありますが本来は違うんですがね。

廃線跡は山陽電鉄別府駅脇を通っていました。今も当時のまま跨線橋が残っています。


山陽電鉄との交差部分

別府口駅跡
別府口駅跡
山陽電鉄との乗り換えのために作られた別府口駅。現在は別府休憩所として看板が出ています。
 廃線跡は遊歩道として野口駅手前までほぼ一直線に伸びています。
 こちらの遊歩道も地元の生活道路として活用されており多くの人や自転車が通っていました。道路との交差部は線路が意図的に残されています。ここに鉄道があったことの証明ですね。
敷地区域票はほとんどが無くなっていますが野口駅までの間に2カ所見つけました。

踏切跡に残る線路

道路の脇に埋もれる敷地区域票

坂井駅跡
坂井駅跡
 坂井駅跡は坂井休憩所として整備され屋根付きの休憩所になっていました。
不自然なオーバークロス
 国道250号線は別府鉄道とは跨線橋でオーバークロスしていました。しかし、廃止になった今となっては意味のない跨線橋になってしまいました。そのため、廃止後、道路の拡幅工事で開通した下り線は跨線橋はありません。上り線は跨線橋のまま使用しています。
これも廃線に伴う遺構といえますね。

上り線は跨線橋・下り線は地平の国道250号線
 国道250号線で廃線跡はいったん分断されますが、再び遊歩道として現れます。
 再び、踏切部分に線路が残されていました。

円長時駅跡
円長寺駅跡
 この辺が円長寺駅跡です。ここから200mぐらい野口寄りに進んだ所に気動車が展示してある公園がありそこが円長寺駅跡と勘違いしそうになります。
社紋入りの敷地区域票
 円長寺駅跡の畑の中にぽつんと残されていました。別府鉄道の敷地区域票は社紋入りの物が用いられています。ここまで完璧に見られるのはここのだけでした。
気動車が保存
 円長寺駅跡の先にある公園に野口線で活躍した気動車が保存されています。一部窓が割れていたり、窓枠が腐っていたりと、雨風にさらされる状態で、保存状態はあまり良くありません。
 周りには柵があり中にはいることは出来ません。廃止当時の時刻表や廃止のお知らせ、駅名板も残されています。
キハ2号に記されていた看板
昭和6年7月 日本車輌製。三岐鉄道が客貨分離運転するため、日本車輌から購入した5両のガソリン動車の後身である。昭和39年11月24日、三岐鉄道から別府鉄道が譲り受けて主に野口線で使用され、両妻面に装備されている荷台は、行商人の携帯携帯する鮮魚・野菜・自転車等を置くためのものであり、現存する機械式気動車としては、全国的に希少価値がある。
キハ2号の性能諸元表
重量 15.7t 半鋼製 2軸ボギー
主要寸法 長さ12.92m 幅2.72m
     高さ3.555m 車輪幅127mm 
     直径860mm 内面距離990mm
性能 エンジン 日野N80 DA55 直列6気筒
   出力 8●●S(判別不能)
   歯車比4段 制動機 空気及び手用
   連結器 シャロン式 上作用自動連結器
製造 昭和6年7月 日本車両製造(株)
旧番号 5 
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